2019年12月31日火曜日

Fifth Chapter

Fifth Chapter


誰かに認められる。誰かに応援してもらえる。誰かにとって大切な存在になる。
そういうことは、きっと大切なことなんだと思う。
ロンドンに来てこの時には4ヶ月ぐらい経っていたと思う。
別に評価されて入れた訳でもないし
何一つとして取り柄がない自分が、
ようやくこの”Sanrizz”というサロンに認められた瞬間だった。


今は、違うブランチに所属しているが
このスタイリストと仕事出来たこと、
同じフロアに立てたことは自分の財産だと思う。
自分のロンドンで働くメンターでもあり
そして、美容師の基礎を教えてくれた人。そんな人である。






初めて入客したその日。
それは、同時に自分の長年の夢も叶った瞬間でもある。
ただ、昔どこかの誰かが、
”夢は叶えるのは…
案外簡単であって叶った夢と向き合う方が難しい”
本当にその言葉通りで
毎日、大小サイズはバラバラだけど壁にぶつかる日々だった。
技術的な部分では、日本で習った技術で補えないこともない部分が
まだあったけど…


一番の障壁は、
やっぱり”言葉の壁”であった。


言葉の背景にある感覚の違い。
そして細かなニュアンス。


カウンセリングの時点でお客様からしたら
『このスタイリストで大丈夫なのか』
そして、最大級の不安なのは、
『このアジア人に任せていいのか』


自信のある言葉とプロフェッショナルとしてのカウンセリングを
ネイティブスピーカーと同レベルで話せるか、
そこが出来なければ技術がどんだけあっても
やはりお客様には、不安を抱かせてしまう。


毎日、帰りのバスではぐったりと”一人反省会”という名の
肩を落としながら帰る日々も続いた。

それでもやはり自分を奮い立たせるのは
他でもない自分である。


とにかく、
子供が親の口真似をするかの如く
周りのスタイリストのカウンセリングを真似て
本当は逃げ出したいぐらいに自信は余り無いけど
毎日、フロアに立って全力で接客の限りを行った。


そういう努力もあったのか、
どんどん指名をしてくれる
お客様が増えたのは最近の話である。


ここまで仕事の話が中心になってしまったけど
正直、ほとんど仕事しかしていない。
ワーキングホリデーという名の修行。
そんな言葉がぴったりな。そんな毎日である。
週6日勤務の朝から夜まで。
収入は、日本時代の1/4ぐらい。
端から見たら今の言葉でいうブラックとかなんだろう。

ただ、綺麗事でもあるけど
日本では絶対に体験できないこと。
海外にある日系サロンでは確実に経験できないこと。
そして、何も武器も無い自分を
海外で働く日本人スタイリストってよりも
ナショナリティーとかを度外視して
チームの一員として認めてくれ雇用してくれたこと。
そんなことに不満などあろうことかって思う。
















正直、仕事以外で強烈な思い出としては
ロンドンの街で”家なき子”になりかけたことかと思う。

最悪のオーナーのもとを離れて
仮住まいいわゆる短期として借りたアパートで
この期間が終わった後に住む家を探していた時の話。

海外らしいエピソードなのかもしれないけど、
ネットでの募集サイトで家を探すのが主流で
自分も忙しい人間でもあるので手取り早く探したいこともあり
ロンドンのど真ん中で好条件の家のオーナーに連絡をした。

ロンドンでも有数の立地にあり
ネットでの対応と物件のキレイさも気に入り
その日にデポジット(敷金)を払ったのは
振り返ると運の尽きだったのは言うまでも無い。

仮住まいの家の契約を残して、
引越しの準備もそこそこに
いざ引越しをしようとした時に
新居のオーナーから


『違う人間が3ヶ月分家賃を前払いして借りたいと言っている。
今、もし家賃として3ヶ月ぶん払えば私はあなたにぜひ貸したいと思う』


この状況でそんなお金は無いので
お断りの連絡、デポジットの返金を要求すると


『それは出来ない。』の一点張り。


そして、連絡も途絶えた。
後から分かったのは、端からこのオーナーは人に貸す気もないうえに
もっと言ってしまえば物件そのものも無かった。

自分の判断ミスであるが、
いわゆる完全に詐欺にあったのである。


所持金もほぼほぼ無い状態。
給料日までまだまだ。
仮住まいの家の退去日は目の前。


この、ロンドンで住所不定無職では無いが
安心して過ごせる家が無いことは想像もして無かった。

当然、家も探す時間も無く
仮住まいの退去日まで粘って探したが見つからず
またまた仮住まいとしてホテル暮らしに突入した。

ホテル暮らし。
聞こえはいいがそんなものでもなく
『戻るまい!!』って後をした
ロンドン生活のスタートを切った
バックパッカー向けの宿に宿泊することになった。

また、秩序正しく並べられた6台の2段ベットが並べられた部屋。
4月以来に戻ってきてもやはり慣れるわけも無く状況も状況で
あの時は、心が病んでしまうってこういうことかって思うほど
仕事は明るく出来ても帰る家(宿)では病む毎日だった。

”人には迷惑をかけたくない。気を使わせたく無い”
そんなバカなプライドのおかげで周りに相談することもできず
しばらく二進も三進もいかない毎日を過ごしていた。

しかし、バレるものはバレる。
同僚から調子悪いのかって思われるほどにどこかが変だったのであろう。
正直にことの経緯を全て説明した。もちろん、詐欺にあったことも。
ここまで人のために動ける人いる?って思うほどに
警察への相談であったり、知り合いの弁護士に協力を仰いでくれたり
解決に向けて協力してもらえた。
結果的には、まだ解決は出来ていないけど
自分のことかのように人のために動きそして協力してくれた。
そして
今現在は周りの同僚のおかげで定住できる家も見つかり
やっと安定したロンドン生活を送れている。















第5回に分けて自分の留学生活を文章にしてみた。
ってよりも、個人的に箇条書きでメモしていた事柄を繋いだだけなので
加筆・訂正を加えたこともありまだまだ書けてないことばっかりであるけど
ざっくりと自分のロンドンの生活の今まではこんな感じである。
このロンドン美容師留学生活がスタートした2019年は、
自分のこれからの人生の基盤が28年目にしてやっと作られたそんな一年である。
だからこそ思うことは…
まだまだこのロンドンで美容師をしたい。
まだまだこのロンドンで生活をそして生きてみたい。
そんなことをここ最近ずっと考えている。



年が変わってしばらくすれば
留学生活2年目がスタートする。




”まだまだ挑戦したい。”





それが、今の自分の気持ちであり

実現したい夢である。















小野寺奨 個人HP  ただの表現の場所 LINE:@tsutomu1201jp mail:tsutomu1201jp@gmail.com

2019年12月30日月曜日

Forth Chapter


Forth Chapter


今でもサロンに初めて立たせてもらった時のことを思い出す。


ピリッとした緊張感のあるフロア。
当たり前に飛び交う英語。
何枚にも積み重ねられたホイルで覆われたカラーのお客。
ブローブラシだけで作られたアジア人美容師には、
再現することが出来ないブロードライ
極限にシンプルに作られたショートヘアー。…。


刺激を受けたとかそんな安っぽい言葉で
形容することの出来ない衝撃を受けた。


”明日からスタイリストとして働きなさい”って
Bossからのお言葉でフロアに立たせてもらうことになった。
揃いのユニホームがない上、自信の無い佇まい
そして、フロアに一人しかいないアジア人。
どう考えてもどこから見ても”ルーキー”な自分。


そして、頭をずっと過ぎる不安が
やはり的中してしまった…。


初めてのお客様。
Blow&Dryでの来客。
そして求めるのはストレートブロードライ。
はっきり言えば基本中の基本だし
自分の得意分野って思ったのも束の間。


アジア人であればしっかりとボリュームが、自然に出るはずなのに
全くもってトップにもボリュームも無くペタっとのっぺりした状態。
周りもその様子を察して途中からリカバリーという形で
やり直しでブロードライをしてもらう始末。


『アシスタントからやり直させてください』


ただ身勝手な野心でサロンに入ってきて
何のサロンの戦力にもならない日本人に対して
本来であれば退社させた方がいいのは明確にもかかわらず


”0から教えてあげるから頑張りなさい”











技術的なものに関しては、
またどこかで書こうと思うので割愛するけど


そこからの毎日は、
0から1にって一歩ずつ1歩ずつを繰り返す毎日だった。
まずは、基本的なブロードライ。
アイロンで作るスタイルでは無い、
ドライヤー、ブローブラシ、カーラー、スモールピン。
髪の毛の質から何もかも違うウエスタンへのアプローチは、
衝撃の連続であった。ここまでしないと満足度が上がらない。
そして、細い髪の毛でもあるに関わらず
しっかりとツヤや大きくボリュームのある動きを短時間に作り上げる。
ブロードライだけでも日本と違う美容の考えと技術がそこにはあった。


こちらのサロンには、
自社でアカデミーを開講しているサロンは多い。
日本の美容学校に位置づけられているけど大きな違いと言えば
やはり実践的であること。
そして、
しっかりとスタイリスト・カラーリストそれに加えて
はじめから教育者になるための勉強しかしないエデュケーターと
日本の卒業してから美容師をスタートではなく
ゴールがはっきりとあり卒業してからは、
しっかりとフロアーに立てる日本のJr.Stylistのような
仕事ができる状態で卒業することが出来る。

また、自社の独自色を真っ新な状態の生徒に教えることで
統一した基準・テクニックをブランド価値として
お客様に提供できるのも魅力の一つである。


週3回はサロンで1年目のアシスタントのような仕事。
残りの3日はアカデみーで朝から夜までずっと技術の習得っていう日々が続いた。
カラーリストよりもカッターに興味もあったので
ベーシックなカットから最後の仕上げまで
今自分にある既成概念をまずは0にして一歩ずつ積み上げる日々だった。


サロンワークではじめに正式に採用されたブランチは、
ロンドン市民が愛する公園の目の前にある
世界各国の要人が宿泊する高級ホテルに入るブランチだった。
サロンの中でもTopに位置づけされるブランチだったので
当然ながら思うのは、


”どうして、こんな自分がここに配属になったのか?”って疑問だった。


ここでの経験は、自分のイギリス生活の価値観に大きくつながる出来事だった。


階級社会の名残があるイギリス。
やはり場所柄もあるので来るお客様はそのような
いわゆる”アッパークラス”に属する方々ばかりで
サロンに来るのにも関わらず、
運転手・お手伝いを伴ってくるのは当たり前。
どの角度から見てもお金持ちって言葉が安っぽく聞こえるほどに
いわゆるVIPクラスの人間が毎日のように来店してきていた。


そこでのサロンワークは、
今までとは全く別物であった。


自分の持っているおもてなし全てを注ぎ込んでも
到底及ばないほどに
ここに来る人は、
そんなチープなおもてなしなど望んでいない。
技術面でももちろんであるが
とにかく最高級なものしか望んでいない。


そんなブランチで
シャンプーマンからスタートした自分に一番の衝撃的だったのは、
お年を召された貴婦人って言葉がぴったりのお客様をシャンプーした時だった。


拙い英語での接客でシャンプーブースに案内した時には、
全身の汗腺から汗が出てきてるかの如く緊張していた。
その人が出すオーラにやられてしまった。


日本人のシャンプーは丁寧で好評である。
1年目のほぼほぼをシャンプー練習でテストを落ち続けた
シャンプーマンの全力のシャンプーをどう評価されるのかって
思いながらシャンプーを施した。


シャンプーの間、何も喋らないお客様。
沈黙の空間で必死な自分。
そのコントラストが何故か可笑しかった。

そして、シャンプー後に

”これからもっともっと頑張ってください”って
握られた手の中に入っていたのは£50(約7000円)を
渡してくれた。いわゆるチップってやつだった。


後からこのことをスタッフに話すと

”昔からずっと来てくれているお客様で
みんなルーキの時に苦労している部分を知っているから
応援の意味でシャンプーマンにスタイリストよりも高いチップを渡している”


”シャンプーのチップで大金をもらった”ってよりも
”初めてこのロンドンで自分の仕事を評価してもらったこと”
そして
誰かに応援されることって本当に嬉しいことだと思えた。
やっと誰かの生活の歯車になれたこと。それが、本当に嬉しかった。


2ヶ月ほどでこのブランチを卒業することになった。
後から知ったのは、Bossからの計らいで
ルーキーのアシスタントは、ここでスタートして
ホスピタリティーであったり接客面を鍛える意味で配属されること。


そして、
ステップアップとしてアカデミーも卒業して
やっとの思いでスタイリストとしては一番したのランクだけど
デビューすることも出来た。



スタイリストとして配属されたのは、
St Paul cathedralの膝下に構えるブランチだった。








金融街のあるBankに近いため
来店するお客様もビジネスマンを始めいわゆるスーツ組なお客様が多かった。
特に、日本と違って休みの日に来店とかでは無くって
ランチタイムであったり休憩時間とか商談前にとか
予定の合間、合間に来るお客様が多くて
スタイルはもちろんだけど”時間の制約”を求められる仕事だった。


また、ここでロンドンで美容師として働く基礎を2人の同僚に叩き込まれた。


海外の現地サロンで働く美容師の生命線っていうのは、
あまり大きな言葉をいえる立場ではないけど、
確実に繰り返すようだけど”ブロー&ドライ”である。
この、技術が出来ないと話にもならない。
アイロンに頼らないツヤ・ボリューム感・カール。
そして、崩れない上にお客様が手を入れれば再現できる
ブロードライを個人的には大袈裟だけど
”Queen of Blow Dry”(ブロードライの女王”)って
呼んでいる同僚に0から教えてもらった。


ドライヤー前につけるプロダクト
毛質別のアプローチ
テンションの掛け方
時短でどれだけ綺麗に仕上げるのかetc


この同僚がいなければ、
僕の今最大限に得意なブロードライの技術はなかっただろう。
日本の技術では、外国人のお客様が求めるクオリティーを
カバーできないんだなって改めて思い知らされた。


何を評価してもらったのかは、分からないけど
このブランチに配属されて
徐々に仕事を増やしてもらえるようになってきた。
シャンプーマンから始まり、
忙しいカラーリスト、スタイリストのブロードライの仕上げなど
少しずつできる仕事も増えていった。












ただ、当然自分にはまだ指名のお客様などおらず
しばらくはアシスタントと変わらないような日々だった。

しかし、チャンスは突然に現れるようで
ロンドンに来て正規のお金を取る形で自分一人で入客させてもらうことになった。
Walk In。いわゆる飛び込みのお客様。指名ではない。

胸の下まであるかなり長いロングヘアー。
手入れもされていないハイトーン。
そして、ナチュラルにうねる髪の毛。

”鎖骨まで切ってヘルシールックになりたい!”

日本人が対応する技術の提供ではなく
ロンドンで働く一人のスタイリストとしての技術を
絶対に喜んでもらえるように指名につながるように
施術をさせてもらった。

何も話さない・話せない美容師とお客様に
流れる雰囲気は他のスタッフからも
”あのルーキー大丈夫か”って思われるほどだった。

そんな時間は、
体感ではものすごく長く感じるけど45分の既定の時間通り
あっという間に終わった。

カールヘアーをしっかりとストレートに伸ばす
そんな単純な仕上げだけど
初めて自分がロンドンに来て味わった挫折につながった
ストレートブローで仕上げた。

そして、最後に鏡で緊張しながら見せた後ろ姿に


”Good Job!I love it”


これが、実質的な意味で
ロンドンで働く美容師としての第一歩に
ようやくたどり着くことが出来た。




お客様をお見送り
バックルームに戻るといつも職人気質な堅物のマネージャーで
自分の大尊敬するスタイリストに



”Well done!”

(よくやった!









小野寺奨 個人HP  ただの表現の場所 LINE:@tsutomu1201jp mail:tsutomu1201jp@gmail.com

2019年12月29日日曜日

Third Chapter


Third Chapter


No way”(そんなの無理だよ)

中学生の時に聞いたAvril Lavigneの歌詞ではないけれど
真正面から飛び込んできた否定の言葉に不思議と
怒りもなければ悔しさも無く自然と受け入れる自分がいた。

冷静に考えてみれば分かる話である。
何の実績も無ければ英語がすごく出来る訳でも無い
イギリス人が日本人美容師を求めているかって
Yes or Noで問われたら当然後者である。

ましてや、
細かなニュアンスなどを汲み取る能力。
ここでいう能力は、フィーリングとかで無くって
純粋に言葉を汲み上げる能力が無い=英語が特段に話せない人間に対して
”はい。どうぞ”なんて言える
会社など無いって判断する事はできる。

少し前の自分だったら
”何くそ。やらないと分からない”って反論してたけど
もう、30歳を目前にした大人な自分は
”現実論”として先生の言葉を捉えていた。















ただ…
”何のために積年の想いで来ることができた
このイギリスにいるのか?”
”自分がしたいことは何のか?”って
自分自身に向き合った時に、
美辞麗句では無いけど
『絶対に挑戦もしていないのに後悔だけはしたく無い』
そんな現実的では無いHappy野郎な絵空事を
考えるようになっていた。


”やるしかない”って決めてからは、アクションを起こすのは早かった
とにかく泥臭くやるしかないって思い
ロンドンのトップサロンには、ほとんどCV(履歴書)を直接配る日々が続いた。
当然、受け取るだけで終わるサロンがほとんどだった。
それでももう一度面接だけでもいいからお願いしますって
電話したりactionを絶え間なく取り続けた。

特にイギリス・ロンドン美容界のTOPでもある
”Vidal Sassoon”も例外なく何度も足を運んで
『ここで働かせてください』って
どこかのジブリ映画の主人公ばりにお願いし続けた。
でも、やはり人が足りているっていうタイミングの問題もあったけど
純粋に自社のスクール上がりでも無い日本人を雇ってくれる訳もなく
何度目かは定かでは無いけど”It’s Over”(もう終わり)
って言われた時には心は完全に折れてしまった。













日本を離れて約1ヶ月近く
本来の目的であるスタート地点に立てず仕舞いで
何してんだろうって思う日々が続いた。
学校も卒業したことによって
何の社会の歯車にもなっていない毎日。
そろそろ冷静に諦めて日系の募集が出ている
サロンに応募しようと決断しかけた時に電話がなった。

『ご連絡を遅れてしまいすみません。
 履歴書を見たからよかったら
 明日の昼ごろに一度会いませんか?』って

英語での言葉が電話に届いた。
それと同時に何となくこんな窮地な時に
訪れたチャンスは逃したくない
きっと”何かある”に違いないって思い
二つ返事で
『今から行きます!』って言いサロンに向かった。

三 SANRIZZ 












このサロンとの出会いが、
現在進行形で自分の人生に大きな影響を与えることになる。

即断即決でアクションを起こしたのは良いが
自分自身に全くと言って自信も無いままサロンに着いた。

白を基調としたサロンスペースに
統一された制服を崩すことなくビシって正当に着こなすスタッフ。
入った瞬間に少し背筋を伸ばされながら
レセプションに面接を受けにきた旨を伝えた。

地下にあるアカデミースペースに通された頃には、
今までにない緊張感に襲われていた。

それもそうである。日本にいる時に
Vidal Sassoonの次に挑戦したいサロンが、
このSanrizzであった。

そして、その時は来た。
オーナーであるTony Rizzo。
この人の出会いが無ければどうなっていたのかって考えると
少し恐くなるほど今の自分を形成する出会いになった。

質問された内容が、
今文章に起こせないほど緊張と高揚感で
忘れてしまっている部分が大半である。

面接の最後に
『明日、もう一度来てください』と一言。
眼前に現れたこの人に何を思われてるのか
この時は、分からなかったけど
これこそ最大のチャンスと思い浮き足立つ自分を冷静に抑えてサロンを後にした。

”行動しないとチャンスは訪れない”
そんな安っぽい自己啓発本に書かれているような文言で
普段の自分なら信じないような言葉でさえ
この時の自分は信じることが出来た。

翌日、
人生でいろんなXデーと呼ばれるものがあるけど
この先の人生に於いても大きなxデーになるそんな日になった。


何の知らせもなく心の準備もなく
その日が最終試験だと気づいたの
入社してからの話。

その日はBossに加えて
アカデミーの教育担当でもあり
サロンのNo,2の女性スタイリストが
見守る中でのトライアル(実技)試験。
モデルを目の前にカウンセリングから
最後の仕上げまでを行い
合否の判断が下される。


勢いで進んでしまったこともあり
何が正解で何が不正解なのか分からずに
ただ、ただ、
自分のBestを尽くすしかなかった。
技術はそこそこにだけど…
何よりも大切なホスピタリティの部分は、
余裕の無さからくる焦りで
何も良いものは無かった。

“ここまでの挑戦をして
失敗しても後悔はない。"


そんなことを考えていると
自分の予想と反して
”ここでやってみたらどうか”と
Bossから一言。


”自分の人生が少しずつ動きだす”


自分の人生が動き出す経験は、
これまでも幾度かあったかもしれないけど
きっとこんな経験は、
先にも後にも無いと思う。


ただ、思えたのは
”行動しないと、自分からアクションを起こさないと
人生は何も起こらない”


そんな当たり前なことを教えてもらった経験だった。



小野寺奨 個人HP  ただの表現の場所 LINE:@tsutomu1201jp mail:tsutomu1201jp@gmail.com

2019年12月28日土曜日

Second chapter

Second chapter

たった一人の人間の高揚感を他所に淡々と搭乗の手続きは済んでいった。
いつも空港に行く時は、なんか背筋が伸びる。
”もう後戻り出来ないし山にも引き篭もれないし進むしかない”
そんなことを思いながら搭乗ゲート前の待合で座りながら
自分を鼓舞する言葉を頭に浮かべ定刻まで待っていた。

”頑張れ。応援してる!!”

普段、あんまり連絡手段の体を成していない
いつまで使ってんの?ってぐらい古いスマホの画面に
表示された言葉に胸にくるものがあった。

いよいよ搭乗の時刻になり
片道切符の韓国・仁川経由で長年の思いを抱きながら
イギリス・ヒースロー空港に向かった。

14時間ぐらいのフライト。
今思い返してもとにかく寝てた記憶しかない。
年を明けてからノンストップで離れる前々日まで
ガッツリ仕事したことも影響して、体は正直に疲れていた。

クセのある機内アナウンスと共に
着陸態勢を取った飛行機の窓の外には、
人生でこんなに憧れてきたロンドンの街並みが広がっている。
本当にこんな高揚感は、大人になって初めての経験だった。
”いよいよ、新しい第一歩”
そんな想いを馳せながらロンドンに着いた。


入国審査官の事務的な
”Welcome England"っていう言葉を後に
人生で初めてイギリス・ロンドンに着いた。

















乗り心地の悪い Tubeに揺られながら
ロンドンの中心部へ。
いつもの癖でスマホを眺めても
電波も入ってない。


当たり前である。

留学は2度目だけど、
やっぱり最初はルーキに戻って
当たり前だったことを一つずつ積み重ねていかなければならない。


ロンドン市内で初めて来たエリア。
日本を離れてどんだけの時間が過ぎたんだろう?って思うぐらいに
時間の感覚とかも無くなって
ただただ、このメルカリで買った
ただただ大きなスーツケースを相棒に
仮の住処になるバックパッカー向けのホテルへ向かった。

すっかりと夜が深くなっていたのもあり
周りに目印なるものも無く、
手元には、偶然に駅でWifiがつながった時に確保出来た
Google mapを当てにやっとの想いで宿へ着いた。













秩序正しく並べられた2段ベットが
そこまでも広くない部屋に6台並べられ
男女関係なく12人の人間が寝ていると思うと
ここが、人生の底辺って思った配送業者の工場の日々が
どうしてかフラッシュバックしてきた。
でも、気持ちだけは前向きで
”ここから一歩ずつやるしかない”って
どれだけポジティブなのかって笑えるほどに。


生活基準を整えるために
ホテル自体は10日間予約しておいた。
この猶予期間で全てを整えるのは、
思い返しても容易ではなかったのは言うまでもない。

定住出来る家の確保。
携帯の契約
銀行口座の開設
在留証明の確保
語学学校入学の手続き
etc

当然全てが英語。
事前に調べていたことと肌で感じるものは
全く違う訳であるので自分の無力さに笑けてきた。

















2度目の留学とは言えども
この国、この街ではルーキである。
そんな小さなことも積み重ねていかないといけないって痛感した。



そして、
何よりもこの留学の最大の目的で最重要課題でもある


”イギリス系サロンへの就職”


これに関しては、後に詳しく書こうって思うけど
単に言えば”そんなに人生甘く無いよ”って
2019年の年末にいる自分が、この時の楽観している自分に伝えてあげたい。


10日間の猶予期間に仕事探し以外は、
大変なこともありながら何とか順調に進んでいった。
事務的なことは、どの国も事務的で
別にそこに何を求めている訳では無いけど
ただ淡々と進んでいき
ようやく仮免許が外れた。そんな感覚だった。


イギリスでの初めての生活基盤になる家。
それは、今振り返っても最悪でしかなかった。
”大家運”そんな項目占いでは無いけど、
もしあるとしたらスコア0だと思うほどに
昔から、あまりそんなに快適に過ごせたことは無い。


・午後9時以降のキッチン使用中止。
・冷蔵庫における食品は3品まで。
・洗濯は日曜日の午後3時以降。
・キッチンを使用した際には、
 大掃除かの如く後片付けの徹底 etc


思い出しただけでも頭が痛くなるような常軌を逸したルール。
当然、日常生活には影響は出まくりであったけど
契約上デポジット(敷金)を10万円近く支払ってしまったこともあり
この後4ヶ月も過ごすことになった。
心のシャッター完全に閉じ議論することにも疲れた自分は、
不思議なことにこの環境に慣れてしまっていた。
退去の際に長髪の自分の髪の毛でもない
髪がバスタブに1本残ってただけで
1万円近く減額されて
デポジットが返ってきたのは、
このオーナーを象徴する出来事だったのは言うまでもない。












時系列が前後してしまうけど、
当然、語学学校にも通った。
ヨーロッパ各国から来ている学生の言葉の独特の訛りに
戸惑いも感じながらも2年程真剣に勉強出来ていなかった
英語に向き合うことも出来た。
まぁ、当然まだまだお子様英語レベルなのは間違いない。
クラスメイトと少しずつだけど打ち解けてきた
そんな時には、卒業の時期も近づいてきていた。
サポート体制の整う学校だったのもあり様々な面で助けてもらったのは言うまでもない。

そして、卒業を控えた前日。
先生との最終の面談。

淡々と当たり障りのない言葉が列挙された紙を読み上げる
先生を目の前に僕も当たり障りの無い拙い言葉で返す。
いよいよ最後の項目。


”これからイギリスでどういう生活をするか”


”ローカルサロンに入って美容師として働く”



”No way!!”(それは無理だよ)



小野寺奨 個人HP  ただの表現の場所 LINE:@tsutomu1201jp mail:tsutomu1201jp@gmail.com